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日向 (戦艦)[ひゅうが]
日向(ひゅうが、命名時のかな艦名表記はひうか〔大正3年10月12日付 海軍大臣達 第151号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C12070068000 で閲覧可能。ひうがではない。〕)は、大日本帝国海軍の戦艦で伊勢型戦艦の2番艦。太平洋戦争中盤、航空戦艦に改造されたが、「航空戦艦」という呼称は便宜上のものであり、正式な艦籍は戦艦のままであった。艦名の由来は宮崎県の旧国名からで、艦内神社は宮崎神宮からの分神〔#海軍生活525頁〕。この艦名は帝国海軍ではこの艦のみで、戦後、海上自衛隊のひゅうが型護衛艦の1番艦「ひゅうが」に引き継がれた。 == 艦歴 == 海軍省は1914年(大正3年)10月12日に仮称艦名第六号戦艦を日向と命名〔し、三菱合資会社三菱造船所(現・三菱重工長崎造船所)で1915年(大正4年)5月6日に起工〔「軍艦日向製造1件」、#歴群26伊勢型98頁〕。東伏見宮依仁親王立会いのもと1917年(大正6年)1月27日に進水〔「進水式」p.45、#歴群26伊勢型98頁〕、1918年(大正7年)4月30日、「軍艦 日向」として就役した〔#歴群26伊勢型101頁〕。 扶桑型戦艦の4番艦として着工の予定が財政事情により大幅に遅れたため、扶桑型の欠点を改善し主砲の位置が変更されている。だが完成時には、38cm砲を搭載したクイーン・エリザベス級戦艦が既にイギリスで就役していた。歴代艦長には後に連合艦隊司令長官として捷一号作戦等を指揮した豊田副武や、航空戦艦改装案を推進し、後に第四航空戦隊司令官として日向に深く関わることになる松田千秋をはじめ、宇垣纏・西村祥治など、戦史上著名な人物が多く名を連ねている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日向 (戦艦)」の詳細全文を読む
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